それならば、なぜ三島は一九七〇年の時点にあの行動に出たのだろうか。三島の自決した一九七〇年は六十年代の高度経済成長や新左翼、反米ナショナリズムの運動が頂点になったときである。新左翼はマルクス主義の仮面を被っていたが、実際は、プロレタリアート、すなわち労働者階級との連帯に消極的な学生による行動的なラディカリズムである。この運動の特徴は、ある種のボランティア精神に基づいたものの、(プロレタリアートの解放などといった)積極的な目的を持たず、戦後知識人への否定を掲げたように、これまでの権威の失墜に対する憤慨のために、むしろ、滅亡を願うような破壊的な行動である。その運動の断末魔的なピークがこの年だった。森田童子の『さよならぼくのともだち』がよく似合う時代だった。三島が現実感を覚えるのは歴史に参加しているときではなく、歴史に抵抗しているときである。三島は過去に回帰したのではない。三島は過去と現実を否定してしまいたかったのである。三島はイデオロギー、すなわち客観性が生み出す自己欺瞞や自己矛盾をアイロニー、すなわち主観性によって解体する。イデオロギーはたんなる政治思想のことだけを意味しているのではなく、客観的たらんとする精神そのものをも含んでいるのである。だが、イデオロギーは時代によって左右される。ニュートンの時代の客観性とアインシュタインの時代の客観性は異なっている。従って、三島にとって、世界は強固なイデオロギー、客観性として存在していなければならない。現実は自分自身を絶対的に拒んでいなければならないのである。その現実が迫ってくるならば、三島自身が、逆に、現実を徹底として拒まなければならない。

By the time we got to Woodstock

We were held very strong

And everywhere was a song

And a celebration

And dreamed I saw the bomber jet planes riding

Shotgun in the sky

Turning into butterflies above our nation

We are starters

We are golden

We are part of a devil's pardon

And we got to get ourselves back to the garden.

C. S. N &Y WOODSTOCK"

 テレビは何ものも拒まない。一九六八年は、翌年ウッドストックを迎えるポップ音楽と同様、テレビ界においても、大きな変化があった。それはワイドショーが始まったことである。ワイドショーは、もともとは、女性週刊誌を参考にしてその映像版として企画された。女性週刊誌は一九五九年の皇太子結婚をきっかけに登場した。誌面は皇室や芸能界、料理、ファッション、占いを中心にして構成されている。三島は、実は、正田美智子と見合いをしている。結局、三島は断られるのだが、彼が「天皇」と叫び始めた真の理由も、彼女に対する未練のためではないかとさえ一部では言われている。一方、正田美智子にも、結婚以前に、想いを寄せる人がいた。東大で物理を教えていた彼には、皇族との結婚の話が持ちあがってからは、右翼による襲撃から守るために、ひそかにボディー・ガードがつけられていた。以降、皇族との花嫁候補に名があがると、その女性は、民間の人との結婚に走るという傾向になっている。ワイドショーの内容も、当初は、これとさほど違いはなかった。当時はテレビ・カメラ、「デンスケ」も大きくて重く、取材すると言っても、フットワークはかなり悪く、テレビの独自性を見つけずにいた。テレビが方向性を模索している時代だったのだ。テレビの普及率が高くなっていくにつれ、ドラマやニュースの制作者に冷ややかな目で見られながらも、ワイドショーは、大衆道徳に基づいたスキャンダルを売り物に、主婦層の支持を獲得し、その視聴率によって勢力と影響力を拡大していく。

 ワイドショーの司会者やレギュラーは、民衆の心理を最初に体現したティモテ・トリムの子孫だった。ティモテ・トリムは、本名をナポレオン・レスペスといい、レオ・レスペスのペンネームで扇動的な犯罪記事を書く法廷ジャーナリストとしてキャリアを始めるが、山師的ジャーナリストのモイーズ・ポリドール・ミヨーと知り合ってから人生が大きく変わった。ミヨーが、一八六三年にタブロイドの日刊紙『プチ・ジュルナル』を創刊すると、巻頭エッセーを担当することになった。彼は、野卑で、覗き見趣味に満ち、それでいて道徳的な口調で、時事的なネタを扱い、民衆の圧倒的な人気を獲得した。内容は床屋談義にすぎなかったが、むしろ、それが自分たちのカタルシスとして民衆に受け入れられたのである。これは、佐藤春夫から「興行師」と酷評された石原慎太郎が東京都知事に当選した理由とまったく同じである。石原慎太郎の当選は、言ってみれば、「三国人」発言をめぐる記者会見で、都知事ともあろう人物が若い共同通信の記者を罵倒していたことからもわかるように、下町のオヤジが酔って、怒鳴り、ストレスを解消しているのと同様の構造を持っている。第二帝政下、一八六〇年台のフランスで、ティモテ・トリムの名前を知らないものはいないほどだった。一八六九年に、破格の契約金で、新創刊の『プチ・モニトゥール』に移籍した。読者はティモテ・トリムを読むために『プチ・ジュルナル』を買っていのに、ミヨーはそれに見あう報酬を支払っていないと彼は信じていたのだ。ところが、彼の移籍の翌日から、『プチ・ジュルナル』が巻頭エッセーを「トマス・グリム」による床屋談義路線の継続を発表すると、読者はすぐにそれに飛びついた。一方、ティモテ・トリムが移籍したものの、『プチ・モニトゥール』の部数は伸びず、まったくの鳴かず飛ばずだった。『プチ・モニトゥール』廃刊後、ティモテ・トリムの消息を知るものはいない。そのため、没年は、現在に至るまで、不明である。

 テレビは、週刊誌以上に、その人を増幅して、人々に伝える。テレビは俗物さえも英雄や救世主にしてしまうのだ。ワイドショーの司会者やレギュラーの多くは、後に、参議院を中心に選挙に立候補し、高い確率で(しかも、トップで)当選して、タレント議員と呼ばれるようになる。吉本隆明から「馬鹿さ加減」と「つまらなさ加減」では右に出るものがいないと酷評された青島幸男はその代表である。テレビに出さえすれば、政治家になることかできる。映像を通じて人に知られた顔と名前を持つことが、政治的識見や指導力以上に、政治的価値なのだということを強調したのだ。

 三島の自殺も、テレビを通じて、日本全国に流され、それを見た遠藤賢司は「突然、そういう人がぽっと亡くなるって、すごく不思議で、空虚な感じがして、みんな一緒になって、わあわあわあわあ騒いでいて、いい奴も悪い奴もぽっと消えてっちゃうんだな。向こうで奥さんがつくっていたカレーの匂いとこんなことしてていいのかなという思いと、人が死んだのになとかいろんな思いが交錯して、ちょっとした無常感がした」と感じ、この体験をもとに、川端康成のヴァージョンもあるのだが、次のような『カレーライス』という歌をつくることになる。

僕は寝転んでテレビを見てるよ

誰かがお腹を切っちゃったって

うーんとっても痛いだろうにねぇ

 テレビの能力が発揮されたのは、三島が自殺した後に起こった浅間山荘事件である。一九七二年二月二八日、テレビは浅間山荘での機動隊と連合赤軍の銃撃戦の映像を、生で、延々と放映し続け、驚異的な視聴率を記録した。遠く離れた場所で起こっている事件や出来事を、電波が届く範囲では、テレビさえあれば、共時的に見ることができる。テレビの最大の衝撃力は実を包みこんで表出する虚を増幅できる生放送であり、テレビはその方向に向かうことになる。三島にはその方向は耐えられないものだったのである。彼の身振りは大きいものはより拡大し、小さいものはより縮小して変形する機能が働くテレビには通用しない。三島のように虚に固執するものは虚実一体に負けるのである。

 三島にとって現実感は自分自身を拒絶するものに対して感じられる以上、自分自身を包みこむものは、たとえそれが芸術であったとしても、嫌悪するしかなくなる。

 三島は、『小説家の休暇』において、音楽について次のように述べている。

 他の芸術では、私は作品の中へのめり込もうとする。芝居でもそうである。小説、絵画、彫刻、みなそうである。音楽に限って、音はむこうからやって来て、私を包み込もうとする。それが不安で、抵抗せずにはいられなくなるのだ。すぐれた音楽愛好家には、音楽の建築的形態がはっきりと見えるのだろうから、その不安はあるまい。しかし私には、音がどうしても見えて来ないのだ

 可視的なものが、いつも却って私に、音楽的感動を与えるのは奇妙なことである。美しい自然を見たり、すぐれた芝居に接したりするとき、私は多分音楽愛好家が音楽をきいて感じるような感動をおぼえる。明晰な美しい形態が、まるで私を拒否するかのように私の前に現われると、私は安心してそれに融け込み、それと合一することができる。しかし、音のような無形態なものがせまってくると、私は身を退くのだ。昼間の明晰な海は私をよろこばせるが、夜の見えない海のとどろきは私に恐怖を与える。

 何か芸術の享受に、サディスティックなものと、マゾヒスティックなものがあるとすると、私は明瞭に前者であるのに、音楽愛好家はマゾヒストなのではなかろうか。音楽をきくたのしみは、包まれ、抱擁され、刺されることの純粋なたのしみではなかろうか。命令して来る情感にひたすら受動的であることの歓びではなかろうか。いかなる種類の音楽からも、私は解放感を感じたことがない。学生時代に応援歌を歌わされると、私の心身は縮小するように思われるのである。

 「包まれ、抱擁され、刺されること」、すなわち迫ってくるものとはこの場合音楽であるが、現実と言っても、歴史と言ってもいいであろう。「歴史は人間の創造物のうちでもっとも非人間的な所産だった。それはあらゆる人間意志を統括して、自分の手もとへ引き寄せながら、あのカルカッタのカリー女神のように、片っぱしから、口辺に血を滴らせて喰べてしまうのであった」(『天人五衰』)。三島は歴史や現実に対して反発し、それを自意識によって転倒していなければ自己を確認できないのである。

 

I want to look at black pictures

And walk in moonlit gardens

I take away some insecurity

Then put it back

 

No more dried up addiction

No more soured sentiment

 

Get some military venom

Take it with a pinch of salt

 

Making music What's the plan

Breaking music

 

A guerrilla born at winter's end

Spins songs that know no limit

Let's do away with sentiment

Life should be outspoken

 

Pretty girls and owl-like gods

Just life nature planned it

Pallid seagulls cross bacteria seas

 

Give back our festivals

Keep men and gods separate

How long can a dream go on

Back to square one,once a day

 

Making music What's the plan?

Breaking music

Praying music What's the plan?

Decaying music

Grooving music What's the plan?

Losing music

Making music

(Yellow Magic Orchestra “Music Plans”)

 

 三島は自意識による転倒を、人生のかなりはやい段階において、獲得していた。三島は生まれながらに虚弱だった。一九二五年一月十四日に生まれたが、すぐに、三島は母親から引き離され、最初の直接性から絶たれている。『仮面の告白』によると、「生れて四十九日目に祖母は母の手から私を奪いとった。しじゅう閉て切った・病気と老いの匂いにむせかえる祖母の病室で、その病床に床を並べて私は育てられた」。そして、三島は十二歳、すなわち学習院中等科入学まで、経済観念をいささか欠き、すべてを蔑視する祖母のもとで、溺愛と過保護によって、病気にかかるのも子供の成長過程の一つであるにもかかわらず、抵抗力を育成することなく、育てられることになる。虚弱な三島に祖母は、教条的病原体論者のごとく、多くの異常と思われるほどの禁制を強いた。

 その禁制の一つは、『仮面の告白』によると、次のようなものだった。

 祖母が私の秒弱をいたわるために、また、私が悪い事をおぼえないようにとの配慮から、近所の男の子たちと遊ぶことを禁じたので、私の遊び相手は女中や看護婦を除けば、祖母が近所の女の子うちから私のために選んでくれた三人の女の子だった。ちょっとした騒音、戸のはげしい開け閉て、おもちゃの喇叭、角力、あらゆる際立った音や響きは、祖母の右膝の神経痛に障るので、私たちの遊びは女の子が普通にする以上に物静かなものでなければならなかった。私はむしろ、一人で本を読むことだの、積木をすることだの、恣な空想に耽ることだの、絵を描くことだのの方を、はるかに愛した。そののち妹や弟が生れると、かれらは父の配慮で、(私のように祖母の手には委ねられず、)子供らしく自由に育てられていたが、私はかれらの自由や乱暴を、さして羨ましく思うでもなかった。

 幼年期の三島にとって、現実はこのようなタブーに覆われ、自分自身を拒むものとしてあった。そのタブーを超えることが三島にとって官能を帯びることになる。よっぽど性に対して負い目を抱き、笑えない性行為しかしたことかないと推測されるジョルジュ・バタイユは、『エロティシズム』において、「誰一人性行為の醜さを疑わないものはいない。犠牲の中の死と同様に性交の醜さは死の不安を呼ぶ。しかし、その死の不安が一そう大きくなれば(略)制限を乗り越える意識は一そう強く、それが熱狂的な喜びを決定的なものにする」、と言っているが、三島の官能は、自分の限界、いわば死の限界をこのように象徴的に踏み越えることなのだ。健康的でデカダンスな性交は三島やバタイユには想像もつかないのだろう。三島は紺の股引を履いた「糞尿汲取人」、「花電車の運転手や地下鉄の切符切り」、空になった薬莢をいくつかくれる「兵士たち」といった男性に魅かれ、そうした官能を覚えた。しかも、それはつねに視覚的でしかなかった。

 だが、三島は、『仮面の告白』において、その官能は「悲劇的なもの」だと次のように告げている。

 私の官能がそれを求めしかも私に拒まれている或る場所で、私に関係なしに行われる生活や事件、その人々、これらが私の「悲劇的なもの」の定義であり、そこから私が永遠に拒まれているという悲哀が、いつも彼ら及び彼らの生活の上に転化され夢みられて、辛うじて私は私自身の悲哀を通して、そこに与ろうとしているものらしかった。

 とすれば、私の感じ出した「悲劇的なもの」とは、私がそこから拒まれているということの逸早い予感がもたらした悲哀の、投影にすぎなかったのかもしれない。

 三島は、このとき、自己の外部にまったく別の生活や論理を持った他者が存在していることを認識したのである。三島が「悲劇的なもの」として呼んでいるのは、これまで自然に信じてきた価値観や感性的なもの、内的世界をまったく関心を持ちもしない外的世界、現実の圧力を痛感したということなのだ。三島は自分自身を拒む力を持った現実と自己破滅的に同一化しようとする衝動の中に官能を見出だすのである。

 しかし、ここには意識の一つの転倒がある。それは直接性や現実から拒まれていることを、逆に、自意識の産物としてねじ曲げていくことによって、自己の存在根拠を確保していく自己防衛のプロセスである。それは主観性による転倒、すなわちアイロニーである。「アイロニー、それは、自分にふさわしい世界を求めねばならず、しかもそれを発見することのできない内面性の、苦難の歩みのうちに、自分の作った力強い作物や下らない作物に弱々しく反抗する者たちすべての挫折を眺めて喜ぶ創造者としての神の悪意と、この世界に自分はまだやって来られないのだということを嘆く救済者としての神の、あらゆる表現を絶する高い苦悩とを、同時に形象化する。終局にまでたどりついた主観性の自己止揚としてのアイロニーは、神のない世界において可能な最高の自由である」(ルカーチ『小説の理論』)。つまり、三島は現実を自意識によって納得させたのだ。すべてを自意識の産物にしてしまうことは結果を原因と入れ替える論理的錯誤にほかならないが、「かもしれない」という語尾で結んでいるように、自分自身それが錯誤だとは知りながらも、三島はこう思いこむことによって自己を保持していこうとする逆説的な精神の姿勢を身につけてしまったのである。

 三島の想像力は超越性を真理として信じられていることによって成立している。彼は関係意識が遠隔的な対象のほうに、むしろ、現実感を覚えるのである。これは倒錯にすぎない。例えば、彼は「同性愛」という超越的な概念に対象をおしこんでそれを了解し、これは宗教的な使命まで背負わされるのである。三島には、想像の世界はあっても、現実の世界がないのだ。現実の世界の代わりに、超越的な概念に短絡的に結びつく想像の世界がある。現実は彼のイメージとは異なっている。われわれは物自体を認識することはできず、ただ現象を把握することが可能なだけであるとしても、三島のような方法論を選択しない。彼の世界は想像力によって歪曲的に構成されたもので、そこには彼自身しかいないのである。彼は抽象的関係を具体的なものへとすりかえる傾向が強い。彼は自分が現実に触れていないことを知っているが、この倒錯を続けたのである。それを見つめることなく、三島はすべての関係に背を向け、倒錯を一気に、できるだけ激しく破壊してしまいたいと願うのだ。

 嫌悪する自己と関係から逃げ出すことから、彼の同性愛は始まっている。彼の同性愛は他者に向けられたものではなく、自分自身への軽蔑から発している。それは他者の内部に入りこまず、自己から逃げ出し、蔑視されてしかるべきなはずの自分自身を克服しようとする願望である。われわれは、同性愛だけでなく、異性愛でも、この形態をとっているかぎり、その関係を恋愛とは認めない。言うまでもなく、同性愛にしろ、異性愛にしろ、先天的であっても、後天的であっても、いかなる理由で選ばれたとしても、その人が充実して生きていける限り、われわれはかまわないと考えている。三島の場合、果たしてそうだったのかをわれわれは問い直しているのだ。三島の同性愛は歪曲された憧れである。未成年の憧れは挫折した自分自身を激しく軽蔑することの反転である。未成年のとき、こうした憧れが愛だと勘違いする人−−特に、日本では男子校や女子校の生徒−−も少なくないが、この時期を通って、対等な関係としての他者に向けられる愛を認知していくのである。この時期がずれたり、長くなったりしてしまうケースもある。愛するとき、人は他者の個としての実在感を確かめずにはいられない。ところが、三島の同性愛は個ではなく、ある特殊性の確認を志向する。

 プラトンは、『饗宴』において、同性愛にある恋慕を次のように説いている。

 さて、いろいろの美しさを順序をおって正しく観ながら恋慕の道をここまで教え導かれてきた者は、いまやその究極目標に向かって進んでゆくとき、突如として、本性驚嘆すべき、ある美を観取ずるにいたるでありましょう。これこそ、まさしく、ソクラテスよ、これまでの全精進努力の目的となっていた当のものなのです。

 それはまず永遠に存在するものであり、生成消滅も増大減少もしないものである。つぎに、ある面では美しく別の面では醜いというものでもなければ、ある時には美しく別の時には醜いとか、ある関係では美しく他の関係では醜いとか、さらには、ある人びとにとっては美しく他の人々には醜いというように、あるところでは美しく他のところでは醜いといったようなものでもないのです。

 それにまた、その美は、くだんの者には、ある顔とか、ある手とか、その他、肉体に属するいかなる部分としてもあらわれることなく、ある特定の言論知識としてあらわれることもないでしょう。あるいは、どこか、ある別のもの、たとえば動物とか、大地とか、天空とか、その他、何ものかのなかにあるものとしてあらわれることもないでしょう。むしろ、それ自身が、それ自身だけで、独自に、唯一の形相をもつものとして、永遠にあるものなのです。それに反して、それ以外の美しいものは、すべて、つぎのような仕方でかの美を分かちもつと言えましょう。つまり、これらもろもろの、それ以外の美しいものは生成消滅していても、かの美のほうは、なんら増大減少せず、いかなる影響もこうむらない仕方です。

 したがって、ある者が、正しい少年愛のおかげで、この地上のもろもろの美しいものから上昇していって、かの美を観はじめるときは、その者は、およそ究極なものに達したと申せましょう。なぜって、これこそが、自分の力ですすむにしろ、他人に導かれるにしろ、恋の道の正しいすすみ方なのですから。つまり、地上のもろもろの美しいものを出発点として、つねにかの美を目標としつつ、上昇してゆくからですが、その場合、階段を登るように、一つの美しい肉体から二つの美しい肉体へ、二つの美しい肉体からすべての美しい肉体へ、そして、美しい肉体から数々の美しい人間の営みへ、人間の営みからもろもろの美しい学問へ、もろもろの学問からあの美そのものを対象とする学問へと行きつくわけです。つまりは、ここにおいて、美であるものそのものを知るにいたるためです。

 プラトンの「恋慕」は同性愛であり、彼はそれを年長者と年少者という段階的な関係に置き、対等な関係としてとらえていない。「恋の道の正しいすすみ方」は、肉体的愛から精神的愛へ、さらには、美のイデアの感受へと「究極的」にはいたらなければならない。エロースは無知と知の中間者、美と醜の中間者、不死と死の中間者であり、中間者であるがゆえに、真理や美、不死、すなわちイデアを求めるのである。これは、むしろ、憧れの一種であろう。

 三島は、『仮面の告白』において、同性愛を告白することによって身軽になった。しかし、彼は、以前にも増して、自己劇化が進むようになったのだ。嫌悪する共同体から抜け出し、同じ遁走をしてきた人々によって構成された共同体を見つけ、彼はほっと胸を撫でおろしているのである。彼は他者を愛するときに生ずる摩擦・葛藤・対立をすりぬけて、同性愛にかこつけ、自己正当化しているだけなのだ。従って、同性愛という言葉の意味に酔った彼は前よりも演技をしなければならないのである。そして、その演技を用いて彼がなりたいものは、誰でもない人間にほかならない。

 われわれは三島の演技には悪意を感じる。彼の同性愛は自己欺瞞と外界喪失の表出にすぎない。この屈折は他者に向けられる。彼が気にする批判は大衆的な道徳に基づいたジャーナリスティックな正義であり、それは誠にくだらないものである。われわれも、彼と同様、その現象には否定的であるが、馬鹿らしすぎて、口にだしていないだけなのだ。そんなもの生活様式が変化していけば、変わっていくのである。彼がいちいち口に出さずにはいられないのは、他者とのコミュニケーションが足りないからである。彼は過剰に人の目を意識しすぎている。人は、三島に対して、そんなに関心を持ってはいない。彼は「楯の会」のような奇抜な言動をして人を戸惑わせたとしても、ほんの少し人々の話題になるだけで、その人の内部に入りこんではいないのだ。結局、それは三島に自己完結的な満足を与えたにすぎない。彼はただ大衆的な道徳の反転を演じているだけなのである。三島は大衆的な善悪にのみ拘泥し、その彼岸を目指してはいない。むしろ、われわれはイメージに対抗するのではなく、軽蔑の対象をデフォルメをしつつ、流通しているイメージに忠実にコピーして、笑いを狙う。われわれがある背の高い女性と一緒に歩いていたら、周囲の人々がクスクス笑い、こちらを指さしているものまでいたので、おかしいなと思いつつ、ふと後をふり向くと、われわれの弟が似たような女性を連れて、同じような格好をして歩いていたのである。

 三島は大衆的な家族制度を嫌っている。しかし、彼は家族を求めていたのである。彼には愛情が足りなかった。彼は、子供のころに注ぎこまれる愛情が不足していたため、まだまだ子供でいたかったのだ。人は十分に子供でいたという実感がなければ、人を対等な関係で愛することができない。彼には居場所がなかったから、社会意識を持つために不可欠であり、ほかの面でも、それが必要だった。しかし、彼はそこに居座り続けてしまったのである。自己否定から新生への熱望は彼にとっては現実的だったろうが、それをいつまでも続けるとしたら、欺瞞なのである。三島は、『仮面の告白』から明らかなように、子供のころ、そうなる資格なんてまったくない馬鹿げた親のせいで、自分のモデルを見つけだすことができなかった。人は親や近くにいるものをモデルとして成長していく。アホな周囲のために、見つからなかった場合、中には、三島のように、まったく無関係の原因をあてはめて、強引に自分を納得させようとするのである。

 三島にとって、同性愛は審美的なものである。一方、アメリカであれば、同性愛者は街頭に出て、デモやパフォーマンスを展開して、権利を主張する。と言うのも、アメリカ人は同性愛を政治的・経済的問題として理解するからである。合衆国には、公民権運動など非暴力運動に訴えて、被圧迫者の権利を獲得してきたという歴史がある。日本では、権利は自分たちで奪いとったのではない。デモやパフォーマンスを行うにはスポンサーを獲得し、その通行路の(官僚主義的な)管理者へ許可をもらわなければならず、それによって政治的・経済的なものに関心を持たざるを得ないのである。われわれは同性愛者の人権を守らなければならない。この世には、同性愛者としてしか生きていけず、また同性愛者であることによって充実して生きていける人は、確かに、いる。われわれが同性愛者の存在を実感したのは、シュルレアリストのルネ・クレヴェルとモプサ・シュテルンハイムがじゃれあっているポートレートを見たときである。男同士で抱き合いながら、あれほどナチュラルに幸せそうにしている姿を、われわれはそれまで見たことがなかった。なるほど同性愛者はいるんだと思ったものである。だが、と同時に、われわれは、異性愛者として生きたほうが充実していけるのに、自らを同性愛者として了解しようとする倒錯は斥けていかなければならない。この世で生きている以上、誰でも一つはいいところを持っているのだから、充実して生きるために、それがいったい何に適しているのかを発見する必要がある。こういう世俗的な話題を日本の文学者や哲学者は嫌う。日本の哲学や文学の雑誌は目に見えるもの以上に、見えないものをとりあつかうのである。彼らはオカルトやゲイに興味をよせても、知的・身体障害者の問題を考えることはない。それどころか、そういう人たちを、三島を代表に彼らときたら、フリークとして見て、審美的に認識するのだから話にならないのである。同性愛は高承であるが、知的・身体障害は世俗的だというわけだ。彼ら自身が知的・身体障害者に対して差別をしているのだ。差別の問題を考える際に、その保持者の集まりの外部にいて差別がないと言うのと、その内部で同じ主張するのとは意味が違う。前者の場合、差別を強化するが、後者では差別を無化するからである。内部と外部という関係を同じように考えることはできない。日本のマス・メディアにはマイノリティーに対するひどい偏見と無知、非寛容にみちあふれている現状をわれわれは、辛抱強く、是正していかなければならないのである。「実践的な瞑想法にくらべ、オカルティックな本は結局なにも明かさず、それゆえにオカルトなのだと失望した。真理が人目から隠されているということは有りうる。オカルティズムは人間が真理を隠しているにすぎず、しかもその真理は隠されている限りにおいての真理だ。真理はもっと単純で、そのような迷宮の中にはなく、日常の中、人の気づかない道端に転がっているようなものであることもわかってきた。風が吹いたり雨が降ったりすることがなんと輝いていることだろう。この世は自分が考えるほどには重大じゃなかったのだ」(細野晴臣)。

 ボードリヤールのようなペシミストは、『象徴交換と死』において、システムは滅んでしまえばいいと次のように思っている。

 いたるところで、またいかなる時にでも、社会問題の贈与、保護・保証・恩恵・社会問題への促しといった審級の贈与、この贈与は誰もがのがれるわけにはいかない。事態がかくのごときものであれば、ありうべき唯一の解決は、システムにたいしてそれの権力原理そのもの、すなわち返礼と反駁の不可能性をふり向けることだけである。システムが自分自身の死と解体によるものでなければ返礼することができない贈与によってシステムに挑戦すること。なぜなら、何ものも、システムでさえ、象徴的義務を免れることはできないからである。死の挑戦で包囲してシステムをムチ打つこと。なぜなら、システムが返礼することを催促されているが、もし返礼しないと面目を失うという贈与は、明らかに死の贈与以外にはありえないからである。システム自身が、死と自殺の多面的な挑戦に応えて自殺しなければならない。

 われわれはこんな「面目」をすでに失っているアホらしい理論に答える必要はない。ただこういう素朴な意見もあり、システムの中で、これによって印税を稼ぎ、有名になるという人もいるのだと提示しただけである。谷崎ならば、「ムチ」打たれることにも、恍惚とする快楽があるのにと、ため息をついて顔をただ横にふることだろう。

 ところが、文学作品にアイロニーが持ちこまれてくると、先の福田恆存の『人間・この劇的なるもの』からの引用が告げているように、実生活のレヴェルでアイロニカルな態度をとるとき以上に、事態は複雑になってくる。アイロニーは経験的な自己と言語によって且つ言語において存在する自己との間を隔たらせてしまう。三島の自己は、そのペンネームと本名の関係のように、まず最初はそうしたアイロニーにおいて存在している。しかし、この相剋において三島は言語のほうに加担する。経験的な自己と言語的な自己との間に優劣の関係はない。と言うのも、言語的な自己は経験的な自己を解釈し、それがまやかしの状態にあることを自らが真であるということとは無関係に明らかにするにすぎないから。にもかかわらず、三島が言語的な自己に加担してしまうのは、言語的な自己と経験的な自己を分断するアイロニーに対して、アイロニーのアイロニーを主張し、無限連鎖的なアイロニーの迷宮にとりこまれてしまうからである。まやかしではないことのまやかしを考えるとき、三島は言語的な自己を経験的な自己にすりかえてしまうのだ。それゆえ、読み手に事実と虚構との混同を信じさせないために、虚構の事実に対する否定性を書き手は示さなければならなくなる。アイロニーの契機はそのために存在している。「仮面」の身振りはそうしたアイロニーの一例である。三島の毛嫌いした太宰は自分自身が決して異質ではないことを他人に見破られないために、わるふざけをして仮面を使うのだが、一方、三島の「最大の望みは、仮面を自分の本当の顔にしてしまうことである。(略)三島の場合、仮面は小説家がなろうと思う者には何にでもなることができる力を与えるものである」(ドナルド・キーン『三島由紀夫論』)。役者はその空間の時間進行を支配するという意味において能動的であり、観客の視線にさらされるという意味において受動的である。役者は二面性を持っている。従って、役者は有名だからスターになるのであって、その逆ではない。スターであるからスキャンダルになるのではなく、スキャンダルがあることによってスターになれる。観客は、その意味で、俳優と共犯関係にある。“There´s no business like show business "(Irving Berlin Annie Get Your Gun"). 観客は楽屋裏を熟知した上で、舞台を見ている。観客は無名の役者を好まない。共犯関係にあるから、演劇は約束事を前提にしている。役者は観客の傀儡ですらある。演出家も同罪である。演劇は宗教性や芸術性よりも商業性に基づいている。三島が演劇に向かったのはこの共犯性にある。だが、作者と作品の語り手を同一視させられない以上、自分自身の仕掛けたアイロニーに欺かれないというアイロニカルな必然性を主張し、虚構の中の自己から現実の自己へと回帰することができない。従って、三島にとっての行動はそれ自体がそのような袋小路的な認識と行為の差異を飛び越えるアイロニーそのものである。言語において存在しているアイロニーが実生活をもとりこんでしまうのだ。アイロニーをアイロニーによって飛び越えようとすることから、アイロニーはそれを語るものを苦境へと追いやる。そのとき、「自己の優越性と無限の自由」を手にするために、シュレーゲルやキルケゴールのように、三島は言語から行動へとダイビングしなければならない。われわれは三島の作品に動きを感じない。われわれが動きを感じるは予兆である。運動から静止に至る瞬間よりも、静止から運動しようとする直前に動きを感じる。言語が行為と認識を必然的につないでしまうのだ。三島の割腹自殺はこの言語が招いてしまった必然的な運命なのである。言語が三島に切腹をさせてしまう。三島にはそれをとめることなどできはしなかった。μισει γαρ ο θεοσ τασ αγαν προθυμιασ (Ευριπιδησ ).

 だから、三島にとって耐え難かったのは肉体、あるいは肉体という生成である。肉体は、意識の望みを考慮せず、生き延びていく、と同時に、勝手に死んでしまう。どんなに夭折を願っても、それは精神によってはかなえられない。三島はフリークを偏愛した。強者や多数派が永遠にそのままであり続けることはないだろう。弱者救済は体制派の発想である。たんに弱者や少数派を支持しても、被害者意識ばかりが蓄積されていく。日本人は強者に対してルサンチマンを抱いているが、それをより弱い対象を探し出して発散する。強さに是認するのではなく、自らの弱さを憎悪するのだ。日本人はリンチや魔女狩りを永久に続けるつもりでいる。たいていは体制派や多数派に状況は有利に働くが、ときとして、偶然にも、逆になることがある。それを生かすとき、歴史が大きく動き出す。三島はそれに嫌悪感を覚える。肉体を無化する精神の完結性はただ自殺においてしかありえない。

 三島は、『天人五衰』において、肉体について次のように述べている。

 衰えることが病であれば、衰えることの根本原因である肉体こそ病だった。肉体の本質は滅びに在り、肉体が時間の中に置かれていることは、衰亡の証明、滅びの証明に使われていることに他ならなかった。

 人はどうして老い衰えてからはじめてそのことを覚るのであろう。肉体の短い真昼に、耳もとをすぎる蜂の唸りのように、そのことをよしほのかながら心に聴いても、なぜ怱ち忘れてしまうのであろう。例えば、若い健やかな運動選手が運動のあとのシャワーの爽やかさに恍惚として、自分のかがやく皮膚の上に、霰のようにたばしる水滴を眺めているとき、その生命の汗溢自体が、烈しい過酷な病であり、琥珀いろの闇の塊りだとなぜ感じないのであろう。

 今にして本多は、生きることは老いることであり、老いることこそ生きることだった、と思い当った。この同義語がお互いにたえず相手を謗ってきたのはまちがいだった。老いてはじめて、本多はこの世に生まれ落ちてから八十年の間というもの、どんな歓びのさなかにもたえず感じてきた不如意の本質を知るにいたった。

 この不如意が人間意志のこちら側またあちら側にあらわれて、不透明な霧を漂わせていたのは、生きることと老いることが同義語だという過酷な命題を、意志がいつも自ら怖れて、人間意志自体が放っていた護身の霧だったのだ。歴史はこのことを知っていた。歴史は人間の創造物のうちでもっとも非人間的な所産だった。それはあらゆる人間意志を統括して、自分の手もとへ引き寄せながら、あのカルカッタのカリー女神のように、片っぱしから、口辺に血を滴らせて喰べてしまうのであった。

 谷崎とは逆に、ひどい味覚音痴だったと伝えられる三島のこうした証明は論理的証明ではない。これは死から見られた生である。死という結果を原因にすり替えた論理的錯誤にほかならない。生と死は共生している。正確には、死は生に寄生しているのだ。「まだ生きているあいだから、死体処理は開始され、生物は病みはじめる」(森毅『キノコの不思議』)。老いは死の存在様式である。桂紹隆が『インド人の論理学』で紹介している通り、インドには論理学の膨大な伝統がある。インドを扱っているはずなのに、ここはとても論理的とは言えない。「老いてはじめて」わかるということは、老いた結果から見てわかるということであり、従って、生きることと老いることの関係は必要十分条件を満たしているわけではないのだ。生きることにとって老いることは十分条件であり、老いることにとって生きることは必要条件である。必要条件は必要条件、十分条件は十分条件であって、両者は同一ではない。「弱めの論を強めの論に仕立て上げる……」(プロタゴラス)。

 アイロニーの身構えと形式への固執にもかかわらず、と言うよりも、そうであるがゆえに、三島は死によってしか安らぎを得ることができなかった。いや、むしろ、死によってしか安らぎを得ることができなかったからこそ、アイロニーの身構えと形式への固執を三島はしたのである。

 フロイトは、『精神分析入門』において、次のような経験を回想している。

 われわれが患者の病気を治して、その症状から患者を解放しようと企てますと、患者は激しくしかも執拗に抵抗し、そして治療の全期間中抵抗し続けるのです。

 思い出したくもなく、認めたくない過去を「排除」を行うとき神経症状が生ずるが、しかしながら、患者は自己認識によって治癒するよりも神経症のままとどまりたがる抵抗心理をなぜみせるのか、すなわちなぜ自ら生を否定するような立場に追いこんでいくのかということを見つめたとき、「抵抗と排除」の心的メカニズムの実在を認めないわけにはいかなかった。フロイトが探求したのは心理ではなく、こうした心理の裏切りである。フロイトにあって、以後のフロイディアンに、いやほとんどの心理学者や精神分析家に欠けているのはこの認識である。Verdrangung は日本の精神分析の文脈では「抑圧」と訳されているが、ドイツ語の意味としては、「船の排水量」という用法もあるくらいだから、「押し出す」というニュアンスがあるので、「排除」のほうが正しい。「排除」を「抑圧」と誤訳する点に日本人の精神構造を分析する手がかりがある。そのほかにも、精神分析の周辺では、さまざまな誤訳が存在する。フロイトの作品を読む際には、ドイツ語だけでなく、ラテン語やギリシア語くらいはもう少し覚えていたほうがいい。日本における「排除」の典型はある女性アイドル歌手が歌っていた『ファースト・デート』である。この曲は、かなりのセールスを記録したにもかかわらず、現在に至るまで日本のメディアでは最もかからない。ともすると、渋谷哲平の『ディープ』のほうがまだラジオの電リクあたりで流れる。彼女は、当時、トップ・アイドルの地位にあったが、突然、自らの手で命を絶ってしまった。すでに予定されていた新潟でのコンサートに、事務所の先輩だった森田健作が亡くなった彼女の代理として出向き、『さらば涙と言おう』を熱唱して、集まったファンが号泣したといういささか混乱したニュースが伝わった。確かに、トップ・アイドルの突然の自殺も衝撃的だったけれども、それ以上に驚かされたのは、数えきれないほど出た後追いの自殺者だった。しかも、メディアがそれを報道する度に、新たな後追い自殺を再生産した。メディアは、そのため、後追い自殺と思われる事例を報道することを自粛してしまった。ところが、トップ・アイドルの自殺と後追い自殺者に関する報道にとどまらず、メディアは彼女の曲、さらには、名前さえも触れなくなっていった。彼女をメディアは、「岡田有希子」という名前に反して、「排除」してしまったのだ。神話化されることもなく、抵抗と排除のメカニズムによって、ファンと一部の良心派を除いて、彼女は忘れ去られていこうとしている。日本の言説に対する精神分析を行う際、この出来事は最も興味深いケースである。日本では「排除」は、まったく無自覚的に、このように自粛という形式をとる。

 三島の心理的手法はフロイトの示した原因と結果を入れ替えている。三島の作品において出した結論は、読み手に対してだけでなく、彼自身に何の示唆も与えていない。三島はこのような死せる認識の地点にとどまり続けた。三島が逃げていたのは「死」ではなく、「生」である。死が三島にとって唯一の解放であり、死から見ることによってしか何ものをも語り得なかった。現実にとって最大のタブーを侵すこと、すなわち死によってしか生きることの官能を感じられない三島には最初から生につながるものは何ものをもなかった。三島は悪循環に陥っていたのである。「われわれ人間は不連続の存在であり、不可解な偶発事の中で孤独に死んでゆく個体であるが、失われた連続性の郷愁をもっている。そして、偶然の個体に釘づけされ、死ぬべき個体に縛りつけられているわれわれの状況が堪えがたい。この死すべきものの存続に不安な望みをいだくと同時に、全的にわれわれを存在に再び結びつける原初の連続性に対する執着をもっている」(バタイユ『エロティシズム』)。三島の行動を大人がやっているものだと解釈すれば、罠に落ちる。十代後半の人間の行動だと思えば、納得がいく。“I was a fantastic student until ten, and then my mind began to wander"(Grace Paley Art Is on the Side of the Underdog"). 三島は自分のまわりにいた十代後半のころ憧れていた十代後半の世界に回帰した。だが、三島には回帰しようとしても、その回帰の官能は「悲劇的」であり、回帰することを拒まれていた。母との直接性を死の匂いのする祖母に割かれていた三島が同性愛に走ったのは、こうした女性との直接性から拒絶されていたと思いこみ、遊ぶことがタブーであった男の子を好きになり、そのタブーを超えることの官能に浸るほか存在する術がなかったからである。三島が『六甲颪』を歌える人だったならば、おそらくこんな官能など覚えなかったろう。「人類はトラ・タイプになる傾向にある。ヒトはチャレンジを好む」(ライアル・ワトソン『ネオフィリア 新しもの好きの生態学』)。

 三島はいつも転倒しているけれども、それが、ときには、創造的な効果をもたらすこともある見逃してはならない。音楽嫌いだった三島が、アイロニカルに、美しい音楽の創造のモチーフを与えているケースがある。

 坂本龍一の作曲した映画『戦場のメリー・クリスマス』のメーン・テーマに、三島の『禁色』を受けて、デヴィッド・シルヴィアンが次のような歌詞をつけている。

The wounds on your hands never seem to heal

I thought all I needed was to believe

Here am I, a lifetime away from you

The blood of Christ, or the beat of my heart

My love wears forbidden colours

My life believes (in you once again)

Senseless years thunder by

Millions are, willing to give their lives for you

Does nothing live on?

Learning to cope with feelings around in me

My hands in the soil, buried inside of myself

My love wears forbidden colours

My life believes (in you once again)

I'll go walking in circles

While doubting the very ground beneath me

Trying to show unquestioning faith in everything

Here am I, a lifetime away from you

The blood of Christ, or a change of heart

My love wears forbidden colours

My life believes (in you once again)

 この『禁じられた色彩』は、『ラストエンペラー』のテーマとならんで、日本人が生み出した最高傑作にとどまらず、音楽において人類が創造した最高の作品の一つである。坂本龍一を日本人が超えることなどてきはしない。そもそも日本人なるものは坂本龍一を登場させるために存在していたと言いってもいい。

 そのような三島の−−実生活も小説も含めて−−世界は子供のようではなく、子供じみている。彼は子供の成熟といったものとは無縁であり、成長するたびに、通俗性に堕したにすぎなかった。「現在の私は旦那様である。妻には適当に威張り、一家の中では常識に則って行動し、自分の家を建てかけており、少なからず快活で、今も昔も人の悪口をいうのが好きだ。年より若く見られると喜び、流行を追って軽薄な服装をし、絶対に俗悪なものにしか興味のない顔をしている。まじめなことは言わぬように心がけ、知的虚栄心をうんと軽蔑し、ほとんど本を読まない。150歳まで生きるように心がけて健康に留意している。月曜と金曜は剣道に通い、木土はボディ・ビルに通っている。文士のぶよぶよな体や鳥のガラのような体に比べて、俺ほど立派な緊った体はないと思っている。それに、小説家生活も13年だから、もうそんなに人を怖がって暮らすことはない」(『十八歳と三十四歳の肖像』)。これをアイロニーと解釈することはできよう。しかし、真に成熟している人間は、アイロニーなど用いず、こんなことは言わないものだ。年をとるということは子供から老人へと向かうことではない。あるときはまだ若いと思いたいし、またあるときにはもう老人だと考えたいというのが人情というものだ。人間には、男と女の部分があるように、子供から老人の精神が生きている。その中のどれかだけを選択し、ほかをすべて排除したとき、深刻な精神状態が訪れる。三島は青年だけを選び、自分の中の老人と子供を追い出そうとした。子供も老人の精神を、そして老人も子供の精神を持っている。そうでなければ、自分と違う世代の人とコミュニケーションができない。“Whoever find this I love you"(Anonymous).他人の話を聞こうともせず、老害をもたらしている人は自分の全体が若いと信じきっているのだ。「若いときから老いを抱えた若者は、年とって若さを抱えた老人になれる」(森毅)。ちなみに、われわれはおばあちゃんたちと会話をするのが得意である。三島夫人と一緒に疎開したある女性とも楽しい会話をしょっちゅうしたことがある。そういう三島は、性に関して、奈良林祥に相談したほうがよかったと思わざるを得ない。

 われわれは次のように言う奈良林先生の解答がとても好きである。

参考までに申し上げますが、私どもの国は、世界で近親婚が一番多いことで有名です。少なくとも文明国といわれる国の中では、ですが。(略)

近親婚がなぜ、いとこより近い者同士の結婚がなぜ、法律で許されないのか。なぜ、そうした制約を受けなければならないのか−−。

それは、共通のご先祖さまが隠し持っていた病的な遺伝子が、近親婚であればあるほど結び合わされる確率が高くなるからです。

その結果、近親者でないもの同士の結婚よりも、近親者同士の結婚のほうが、隠れていたあまりうれしくない遺伝子の働きがはっきりと子供の表面に現われてしまうことになりやすいであろう、という理由なのです。

でも、いとこ結婚の出産から危険がいつでも起こると決まったわけではありません。それに、血族関係のない人と結婚していたとしても、産まれて来る子供について、誰でもが五%くらいの危険は可能性として持っているのですからね。

近親婚から産まれた子供は、統計的に、確かに死亡率が高いのです。特別の病気というのではなく、何となく弱いといいます…。だったら、育児に普通以上に気を配ることで、子供の健康を保っていく努力をしたらいいでしょう。

子供を産み育てるだけが結婚ではありません。夫婦の絆は、子供がいるということだけで支えられるものでもないでしょう。子供を持たず、でも幸せな夫婦は幾らでもいますものね。

(『寿』一九九六年四月号)

性行為とはするものでもなく、やるものでもありません。性行為とは、二人で人生を生きていけることを、心とからだの全部を動員し、うれしがっちゃう行為をいうのです。

そして、性行為の主役は女性であって、男は脇役にすぎないことを片ときも忘れず、“彼女を満足させるために俺は性行為をしているのだ”と、常に自分にいい聞かせること。性行為は男の性器の挿入から始まるのではなく、挿入で終わるものであることを、絶対に忘れないように。

性行為なるものが始まってから性器の結合が行われるまでの二十分なり三十分なりを、上になったり、下になったり、横になったり、斜めになったり、抱いたり、触ったり、吸ったり、見つめ合ったり、したいようにして、そのときの流れを喜び合うことが性行為の命なのです。

男の挿入なんてものは、性行為のオマケみたいなもの。(略)

男中心の性行為だと、男しか満足出来ないことになっちゃうように、人間のからだは作られているのです。

女性というものはね、男が挿入さえしてくれなければ、まず絶対満足出来るに決まっているからだに作られているのです。

男は、まったく逆に考えて、“挿入すれば女は喜ぶと思い込んでいるんだから、いい気なもんだぜ”なのです。

(同一九九六年八月号)

早漏とは、射精が早く起こる、ということではありません。

射精を、自分の意思で自由にコントロール出来ない状態を指す言葉なのです。射精のタイミングをコントロールできないから、結果的に射精が早くなってしまうということにもなるわけではありますけれどね。

ただし、性行為体験が始まったすぐの頃に、射精が早く起こってしまうということは、男としては至極当たり前のことでありましてね。ことさらに早漏などと呼ばれねばならないようなことでは、ありません。(略)

だから、結婚した以上、男は、身勝手な男といわれないためにも、性行為の体験を積みながら、射精を我慢するコツを、からだで覚えて行く努力をしなければならないのであります。

(同一九九七年一月号)

 その上で、真に成熟した人間は次のように書くのである。

私はただ、私自身として、生きたいだけだ。

 私は風景の中で安息したいとは思わない。また、安息し得ない人間である。私はただ人間を愛す。私を愛す。私の愛するものを愛す。徹頭徹尾、愛す。そして、私は私自身を発見しなければならないように、私の愛するものを発見しなければならないので、私は堕ちつづけ、そして、私は書きつづけるであろう。神よ、わが青春を愛する心の死に至るまで衰えざらんことを。

(坂口安吾『デカダン文学論』)

 三島は結合と射精、すなわち直接性と無媒介性こそが性的満足だと信じている。それは猥褻ならびにポルノグラフィーを支える原理であることは確かだとしても、性の喜び、あるいは「アプロディテの割れ目のある牧草地」(エンペドクレス)からはほど遠い。結合と射精は性、すなわちコミュニケーションではなく、鬱積したルサンチマンの発露でしかない。三島の文学は読み手とのコミュニケーションを拒絶し、救われないまでに孤独なものである。それは三島が自意識の不幸は自意識そのものにあるという悪循環を超えることができなかったことを表わしている。三島の作品を埋めつくしている不明確な比喩と不明瞭な説明は現実を拒み、同時に、現実から拒まれている。日本人は三島由紀夫にしろ、谷川俊太郎しろ、村上春樹にしろ、未熟なアイロニストを文学的にぬけぬけと評価してきた。三島の小説を文学と評価するものは、三島と同様、現実を、生を否定していることを表明しているのであって、三島に文学的な地位を与えている節穴の目を持った日本人は尻の青い未熟ものであり、現実の中を生きることを拒絶しているのである。三島は最も拒まれる立場を、タブーばかりを選び続けた。「愚かな者たちは、現にないものを切望し、現にあるもの、それもとうの昔に過ぎ去ったものよりいっそう有益なものであるのに、その現にあるものを打ち捨てて構わないのだ」(デモクリトス)。ただ注意して欲しい。われわれはここまで三島を批判的に論じてきたが、たんに彼を否定しようとしたわけではない。三島由紀夫という作家は、たとえ小説や詩が読むに耐えないとしても、極めて重要である。それは劇作家として優れた能力を発揮したからだけではない。たとえ病気が絡んであったとしても、一三歳の少年の殺人計画を描いた『午後の曳航』が示す通り、われわれが陥りやすく、また一度は陥ってしまう状態を体現しているからである。従って、われわれは三島をもっと批判的に考えなければならない。三島は「楯の会」のような行動を一般の人々が肯定してくれるとは思っていなかった。三島は全共闘が「天皇」と言ってくれるなどと思ってもいなかった。自衛隊が決起するなどと思ってもいなかった。それでよかったのだ。現実は自分自身を拒まなければならないからである。そして、三島はアイロニーの迷宮によって形式的構成が破綻するのを待つだけだった。その完全な破綻が『豊饒の海』の完成した一九七〇年十一月二十五日だったのである。“After all, tomorrow is another day "(Margaret Mitchell "Gone with the Wind").

 三島は死の方法として「切腹」を選んでいる。これは、コジューヴが『ヘーゲル読解入門』で挙げているように、日本的「スノビズム」の典型である。人間が人間的であるためには、与えられた環境を否定する行動、すなわち自然との闘争を経なければならない。ところが、「スノビズム」は、そうした環境を否定する実質的な理由がないにもかかわらず、「形式化された価値に基づいて」、すなわち儀礼的に、それを否定する行動様式である。スノッブは、「動物」と違って、環境と調和することを拒否する。否定の契機がなかったとしても、意図的に、環境を否定し、形式的な対立をつくりだし、その対立に耽溺する。「切腹」は、実質的には死ぬ理由がないにもかかわらず、名誉や秩序といった形式的な価値に基づいて、実行される。しかし、これはあくまで儀礼でしかなく、歴史を動かす力にはならない。切腹は歴史とは無縁の究極のスノビズムであろう。従って、スノビズムを追求するためにのみ、三島は「切腹」するのである。「腸を刺した程度では、苦しいだけで容易に死ねない。時代劇の切腹に介錯がつくのも、腹を切っただけではすぐに死なないからだ。切腹だけで死のうとすると、腸を切って、さらにその奥の背骨の前を通っている腹部大動脈まで切断しないと死ねない。余談だが、池波正太郎の時代小説を読むと、首の頚動脈を切られて即死した、という描写がよく出てくるが、頚動脈を切られると頭に行く血液が極端に少なくなるので、意識はすぐになくなるだろうが、死ぬまでには何分かかかるだろう」(支倉逸人『検死秘録』)。

三島は、ヘーゲルの『精神現象学』の最終章を思い起こす尻すぼみで知られる『天人五衰』を次のように終えている。

 これと云って奇巧のない、閑雑な、明るくひらいた御庭である。数珠を操るような蝉の声がここを領している。

 そのほかには何一つ音とてなく、寂莫を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。

 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……

 三島は、最後の最後まで、静寂を表わすのに、「しんとしている」と音を書き表わしてしまう。この表現には二つの意味がある。一つは、いつも通り、一言余計だということである。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のエンディングのように、直接的な表現を避けて、われわれに静寂をイメージさせて欲しいのに、三島はそうしてくれない。無言でいるときのほうが、饒舌よりも、はるかに多くを語っている場合があるということを三島には理解できないのである。三島には「無言劇」(アルフィー)をわからない。もう一つは、三島はどこまでも主観主義者だということだ。

 沈黙を表現するこの「しん」は、一九五一年に、医学を学んだ手塚治虫が『新世界ルルー』で用いたことによって、一般化した。これは聴神経が、まったく音が聞こえないときに、脳に送る信号音をもとにした擬音語である。この音は無響室でなければ聞こえないほど小さく、しかも、頭の中の音であるため、録音することができない極めて主観的なものである。初めて録音した自分の声を耳にしたとき、われわれはおぞましさや恥ずかしさを覚える。それが、確かに、自分の声であると認めざるを得ないと同時に否定したいという複雑な思いにわれわれはかられる。今まで聞いていた自分の声を、実は、誰も耳にしたことがなく、ほんとはもっといい声だと主張したくもなるが、こんな声で、臆面もなく、話していたのかと愕然とするのだ。われわれはこのように客観性というものを体験するのである。現代の詩人たちは、詩を活字に閉じこめてしまうことを拒絶するために、朗読することをしばしば試みるが、音声の複製技術のなかった時代の詩人たちとは違う状況に置かれている。かつての詩人は音声と骨髄音の違いなど認識していなかった。朗読は、録音器材のせいで、これまでにない恥ずかしさを詩人に強いるものになったのである。もはや詩人は客観性から逃れることができないのだ。テレビに出るには、この客観性のもたらす恥ずかしさに慣れなければならない。ナルキッソスが自分を愛するのはその姿を見てであって、その声を耳にしたためではないのだ。ナルシストは自分の姿に酔えても、自分の声には嫌悪感しか持てないだろう。“The voice is greater than the eye "(Charles Olson). 主観主義者の三島は客観性をあくまで拒否した。客観性に近い聞くことも、三島は、何としても、主観性の領域に置きたいのである。ゴルフでは、「パッティング・イズ・リッスン」という言葉があるが、この字句を読むと、三島は耳で聞かないから、いいところにまでボールをよせながら、パットをはずしてしまったようなものだと思わずにはいられない。主観と客観は、なるほど、現在では分裂している。

この生のなかで

       死ぬのは難しくない。

生きつづけてゆくほうが

        はるかに難しいのだ。

(ウラジミール・マヤコフスキー『セルゲイ・エセーニンへ』)

 三島は、その日、大袈裟で不明確な比喩と不明瞭な語り手の説明に覆いつくされた彼自身の作品の如く、まるで兵隊ごっこをしている子供のするような自己劇化的な身構えと体をなしていない「檄」文と陳腐なまでの「辞世」の歌とともに自決していった。少年のころ、大人たちの前で女装をして見せ、いかに自分が他人とは違っているのかを必至になって訴えようとしていた三島は、結局、死ぬまで同じことを繰り返したのである。周囲の人々を喜ばせるよりも、辟易させ、とまどわせ、混乱させれば、自分の異質さを相手に納得させられたわけだから、その企ては、むしろ、成功なのだ。笑ってしまうほどに普通の人でしかなかったので、フロイトの言葉通り、彼はその認知に抵抗し、それを反復したのである。死とは生の入れ子である。“To err is human--but it feels divine "(Mae West). そう、不意をつかれたときに、ほんの一瞬思わず見せてしまう無防備なためらいの魅力を理解できなかったが、死ぬことなどたいしたことではなく、どんなことがあろうとも、死ぬこと以上に生きていくことのほうが「イノチガケ」(坂口安吾)であるのだと言えなかったかのように。tu fui, ego eris.

I went to the doctor

To get another shrink,

I have to tell him about my weekend,

But he never betrays what he thinks.

Can You See The Real Me,

Doctor?

Can You See The Real Me,

Doctor?

I went back to my mother,

I said, "I'm crazy ma, help me!

She said, "I know how it feels son,

'cause it runs in the family.

Can You See The Real Me,

Mother?

Can You See The Real Me,

Mother?

The cracks between the paving stones,

Like rivers of flowing veins.

Strange people who know me,

Peeping from behind every windowpane.

The girl I used to love,

Lives in his yellow house,

Yesterday she passed me by,

She doesn't want to know me now.

Can you see The Real Me

Can you, can you,

Can you see The Real Me

Can you can you,

I went to the holy man

full of lies and hate,

I seemed to scare him a little,

So he showed me to the golden gate.

Can you see……

The Who "The Real Me

                                   〈了〉

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